伏木港第2集  (27) スライド一覧へ戻る 前のページへ 次のページへ
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富山県の二つの港、伏木港、富山港
日本の経済のひとりだちと、富山県の苦しい産業開発という課題をせおって、ともに工業港としての方向に向かって歩み続けています。
対岸貿易も新しい姿で描かれなければならなくなりました。
昭和28年3月20日うれしいニュースがありました。
富山工業地帯を控えた富山港から韓国向け硫安第一船が出たのです。
「硫安第一船、朝鮮へ」と先生が黒板に書かれた。ぼくたちは、みんないっせいに手をたたいた。
硫安をいっぱいつんだ船。
あらしになんかならずに無事に朝鮮へつけばいいなあ、朝鮮は戦争しているから、肥料作る工場もないだろう。
朝鮮のお百姓さんたち、硫安入ったら、よろこばれるだろうなあ。
船、早く、早く、朝鮮へついてくれ。
伏木港からも、昭和28年1月1日、イギリス船、ヒツトターマス号を使って、沿岸の日産化学で作った過燐酸肥料3300トン、中国の上海に向けて送り出しました。