| 伏木港第2集 (20) | スライド一覧へ戻る | 前のページへ | 次のページへ |
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20) 当時の新聞記事 押し寄せた船で、いかりがおろせない程の伏木港の状況。 いわゆる日本海時代と呼ばれ、伏木港並みに日本海諸港にとって最も華やかな時代なのでした。 現在伏木港にはいる貨物はほとんど近くの工場へ送られるが、この頃はこのような工業原料のほかに大陸で生産される食料や雑貨もどんどんはいったので、送り先も、港から貨車で、中国地方の諸県はもちろんのこと、中国地方、四国地方、関東地方、東北地方まで送られました。 つまり、今の工業公的な性格とともに日本海側の中継港としての役割も多分にあったわけですね。 終戦後の現在なお対岸との貿易は自由に行えません。 有り余るほどある対岸の物資をこの頃のように伏木港へもってくることができたらどんなにいいでしょう。 (註) 昭和10年11月21日朝日新聞(大阪)紙面、伏木小学校スライド資料室、満鮮中国との貿易が急激に増えていき昭和19年になると、日本における全輸入の65パーセントがそれに依存してしまった。 |