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大正七年 東亜合成工場ができる。
大正七年 東化工工場ができる。
大正八年 十条製紙工場ができる。
昔の米倉の横に次々と工場がたてられていきました。
原料や製品の運搬に便利なことや、たくさんの電力資源、農村のあまった人手――このようなうちそろった条件の下でこの工場が建設されたのです。
そして、それに加えてこの頃から相ついで起こされる戦争の準備のために、日本の各地に、大きな工場がどんどんつくられており、そして、この高岡―伏木工業地帯もこういった空気の中で発展していったのたということも重要なことなのです。

(註)
現在の東亜合成工場、第三号桟橋より、手前のたてものは、越中米の積出しがはなやかであった時代の米倉、現在は東亜合成の原料倉庫に使用されている。