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米を積んだ、はしけが一艘、ささやかな伏木港の埠頭。
目まぐるしい世の移り変わりの中で、どうしていいのかわからない町の人々を呼びさまし、先頭に立って開港の必要を論じ築港を唱えたのは船問屋能登屋の息子であった藤井能三さんでありました。

「さあ、みなさん、これから新しい世の中だ。
今までの古いふなつき場ではやがて町はすたれてしまうぞ。
この町は将来どうしても港によって、生きていかなければならないのだ。
そしてまた、港をひらくこと、伏木を立派な商港にすることは、越中全体の産業をひらき、文化を進める上に、いかに大切なことではないでしょうか。
さあみなさん、みんなでやりましょう。
新しい港を建築する仕事を。
私たちの行く手は、私たちで切り拓いていこうではありませんか。
この日から、港と共に生きて行く町の将来が、力強くさし示されたのです。

(註)現在の第一号岩壁、移動水平引止式起重機のある場所(1の場面)