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朝床に 4150番歌 縦書き 撮影:小沢昭巳 二上山から望む小矢部川
二上山から望む小矢部川
撮影:小沢昭巳
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よみかた(現代仮名遣い)
あさどこに きけばはるけし いみずかわ あさこぎしつつ うたうふなびと さくしゃ・おおとものやかもち まき十九 4150ばんか

朝床に 聞けば遙けし 射水川 朝漕ぎしつつ 唱ふ舟人 作者・大伴家持 巻十九・4150番歌
大意
朝、寝床で聞けば、遙かに遠い。射水川(今の小矢部川)を朝に舟を漕ぎながら唄う舟人よ。
解説
 
 この歌は、眠りの浅い夜が2日ほど続いていたらしい大伴家持(おおとものやかもち)が、天平勝宝(てんぴょうしょうほう)2年(750)3月2日によんだ歌とある。現代の日付感覚でいえば、3月3日早朝の歌である。当時は、早朝寝床にいる時点は、まだ前日のこととしてとらえていた。
 3月3日は、節供の日。この日、国守館(こくしゅかん)では、桜や椿をめでながら、みやびな上巳(じょうし)の宴が催され、家持の歌3首(しゅ)が残る。

万葉故地・射水川
 
 いみずがわ。現在の小矢部川(おやべがわ)にほぼ重なるが、小矢部川と庄川(しょうがわ)は合流しており、その合流点以下を射水川と呼んだらしい。小矢部川と庄川が分離して別の川となったのは、意外に新しく、大正時代のこと。大伴家持(おおとものやかもち)が暮らしていたと考えられている富山県高岡市伏木(ふしき)の国守館(こくしゅかん)推定地とされる伏木気象資料館は、射水川の自然堤防の端にあり、明治時代まで真下を川が流れていた。家持の頃の射水川は、小矢部川よりはるかに水量豊かな大河であったと思われる。
 
大雪の伏木測候所
大雪の伏木測候所
現・伏木気象資料館
2003年1月6日午前8時撮影
 
 家持は二上山を讃美(さんび)する歌で、「射水川 い行き廻(めぐ)れる たまくしげ 二上山は…」(巻十七・3985)と、二上山を廻れる川と歌によみ、部下の大伴池主(おおとものいけぬし)と射水川のほとりを散策したようだ(巻十七・4006)。
 
 現在の高岡市福岡町赤丸と隣接する高岡市石堤に式内社(しきないしゃ)の浅井神社がある。両社に17世紀末ごろまで川人明神(かわとみょうじん)という神社があった。この付近に古代の川人の駅はあったのだろう。

用語
 
国守館(こくしゅかん)
国守(今の県知事相当の職)の公邸のこと。
 
上巳(じょうし)
節句の一つ。陰暦三月の最初の巳(み)の日のこと。のちに三月三日のこととなり、宮中ではこの日に曲水(きょくすい)の宴が行われた。時代が下ると、女子の祝い日としてひな祭りをするようになった。
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